SUDDEN FICTION 〜超短篇小説4〜



わたしの目の前には風車が広がっている。





それはオランダとか長崎のテーマパークにある「それ」ではなくて、風力発電のための羽だった。



ぐおんぐおんという鈍い音を立てながら等間隔に置かれたそれらが誰に言われるでもなくクルクルと回っている。





わたしはここに母と2つ下の妹とよく3人で来たのを覚えている。



二代目プリウスでそこに乗り付けると、いかにもエコな風景に見えたものだった。風車が風を受けて回り、その麓の路をハイブリット自動車が駆け抜ける。



海沿いのその路には12個の風車と3つの駐車場と公衆トイレが1つあり、わたしと妹は、窓越しに見える風車の数を数えるのが好きだった。





今、わたしがいる場所はトイレのある広場なので、ちょうど真ん中の駐車場ということになる。



地元に帰ってくると、わたしはなにをするでもなく、ここに来ることにしていた。



家で適当なものをパンに挟んでサンドウィッチを作ってタッパに入れ、適当な炭酸水と一緒に持っていく。それを潮の香りに包まれながら風車の下のベンチに座って食べる。



そこではじめてわたしは「実家に帰ってきた」心地がした。





2月に辞表を提出して以来、わたしはずっと、ここでこうしてサンドウィッチを頬張ることを(もしかしたら、それだけを)頼りにして生きてきたように思えた。



それは嵐の中を難破すんでのところでヨタヨタと進む船に似ていた。わたしにとっての灯台は少なくともその風車の下で食べるハムサンドだったのだ。



そうやって遭難寸前で進んだ船が、穏やかなところに出たのは、会社を離れて少し経った4月下旬の頃だったと思う。



嵐を抜けて晴れ間が見えた頃 ― つまり、会社を辞めて、部屋の掃除をして、読んでいなかった本をいくつか読み終えた頃 ― 、そろそろ実家に一度帰ってみようと思った。





引き継ぎが2週間程度で済んだことにホッとすると同時に、それは多少わたしを動揺させもした。



4年半勤めたその重みと、2週間程度の引き継ぎとが、どうしても天秤で釣り合わなかったからだ。そう思いたくなかっただけなのかもしれない。



でも、いつだって、人の仕事は究極的には代用可能なものなのかもしれない。もしスタンダールが手もとになければ、フローベールを読めばいい。それだけのことだ。





「あなたの好きにしなさい」と母は短く言った。



昔から母はそうなのだ。いや、とわたしは思う。以前はもっと気立ても良く、品位もあり、そして、わたしの人生に積極的に関わってきた。



しかし妹が死んでしまったことで、母からは生命力の大半が失われてしまった。





若くして離婚した母にとって、わたしと妹が彼女の支えであった。そのすべてと言っても言い過ぎではないと思う。



わたし(そしてもちろん母)の人生にまさかそんなことが起こるとは思っていなかった。



わたし(たち)の人生は、あの日を堺に二分されてしまった。それはけっして埋めようのない、深い溝だった。





大学は実家から通った。もし妹が生きていたら、とわたしは思った。そのときのわたしは、不謹慎にもそう思った。



もし妹が生きていたら、実家を出て県外の大学に行けたのにと。



でもそうやって県外の大学に行くことは、瞬間的と言ってもいいくらい選択肢からは消えていった。母にはわたしが必要だったし、わたしにも母が必要だったのだ。





大学の4年間で母はずいぶんと元気になった。以前やめてしめてしまった華もできるくらいまでになっていた。



「卒業して、東京に行きたければ行っていいからね。どうせこっちの就職先なんて知れてるんだし。私のことは心配しないで」と母は言った。



そしてわたしは東京の広告会社に就職した。





仕事は充実していた。経験が浅くてもやる気を見せれば、かなりの裁量を与えてもらえた。一つひとつ丁寧に仕事をしていたことも功を奏したと思う。



1年目は仕事に夢中で恋愛どころではなかったが、2年目には彼氏ができた。同じ職場の一つ上の先輩だった。



仕事とプライベートの線引きに最初は苦労したものの、お互いで距離感を模索した結果、適度な場所を見つけることができた。



途中別れ話も持ち上がったものの、その彼とは結果的に2年と少し付き合った。





その職場を離れることになった理由の一つに、彼との破局が関与していないわけでもないが、基本的には違うと思う。



いちばん大きなことは「このままわたしはどこに行けるのだろう?」という疑問をふと抱いてしまったことにあった。





「このままわたしはどこに行けるのだろう?」





その頃わたしは、後輩を何人か見るくらいの立場になっていた。



職場は忙しすぎて、そういった「雑多な思い」を抱いていられるわけもなく、変わらず毎日テキパキと働いていた。



そういう疑問が大きくなればなるほど、それを打ち消すかのように懸命に働いていたようにも思う。



だから、離職の意向を伝えたとき、上司はかなり信じられない様子でいたし、周りの同僚も驚いていた。信じられない、と。





そして、またわたしはここに来て、サンドウィッチをかじりながら考えている。



「このままわたしはどこに行けるのだろう?」



たぶん、どこにも辿り着けないのだろう。風車を眺めながらわたしはそう思った。



もしかしたら、それが人生というものなのかもしれない。それでも、どこかに辿り着きたいと願ってしまうのは欲張りなのだろうか。





結婚して、子供ができたらこの気持は、少しは晴れるのかもしれない。早くに結婚した友人たちを見ているとそう思う。



彼女たちも少なからずそういうやり場のない虚しさのようのものを抱えているんだろうか。





「わたしはここのまま、どこにも行けません」



しばらくしてから、わたしはそう言ってみた。




そして噛みしめるようにもう一度その言葉を繰り返してみた。「わたしは、このままどこにも行けません」。



なぜだかわからないけれど、先ほどより少しだけ気持ちが楽になってくるのを感じた。



きっと、どこにも行けないなりに、辿り着けないなりに、生きていくしかないのだ。



いや、そうやって生きていこう、とわたしは思った。





風車は5月のゆるい風に吹かれてただ規則的な回転を続けているだけだった。



わたしは、空になったタッパと半分残っている炭酸水を持って年季の入ったプリウスに戻る。(おわり)

言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

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