僕らはいったい、何者なのか?

なんとなく、リブログしますね。
 
 
※2017年12月3日に書いた文章です。
 
 
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言葉のちから

僕らは何者なのか?



こんにちは、ケニーです。高木です。どうもです。



僕は今、勝手に「小説家」として生きています。



べつに誰に頼まれたわけでも、誰に望まれたわけでもありません。





たしかに僕は、10万字程度の長編を書き上げて新人賞に応募もしましたし、短編もいくつか書きました。



そして、その一部をこのサイトに載せたりもしています。



でも僕はまだ、賞も受けていないし、社会的な認知もないし、



印税で生活をしているわけでもありません。



それでも僕は、「そのつもり」で生きているのです。




人はいつから、、




ここにひとつの「問い」があります。



We got one question, here. です。



人はいつから「その者」として生きるようになるのでしょうか?



村上春樹はいつから「小説家」だったのでしょうか?



彼がデビュー作で印税をもらった「その日」からでしょうか?



それとも新人賞の受賞が決まった「その日」でしょうか?



あるいは、彼が自分で経営していた千駄ヶ谷のジャズ喫茶の営業を終えて、



ひとりキッチンでコツコツ処女作を書きはじめた「その日」でしょうか?





それは、 “もしかしたら自分にも小説が書けるのではないか?”  と



彼が神宮球場で閃(ひらめ)いた「その日」かもしれません。



あるいは、当時の収入源であったジャズ喫茶を売却し、



「小説家として勝負してみよう!」と決めて千葉県に居を移し、



3作目の長編、『羊をめぐる冒険』を意気込んで書きはじめた「その日」からかもしれません。



どれが、本当の「その日」なのか、それはわかりません。



しかし僕はある意味で、いずれの「その日」も正しいと思います。



結局、それは「測る物差し」によって異なるのだと思います。



社会的な物差し、身近な人からの物差し、そして「自分自身」の物差し。



そこにあてがう物差しによって、答えや正解はいつも違ってきます。



それは時代によっても異なるでしょう。



でも僕は、いずれの場合でも、どんなときでも、本当の原点はひとつだと考えています。




最初は誰が決めるのか?




自分は何者として生きるのか、それを決めるキッカケは「自分自身」だと僕は思うのです。



「自分が自分を何者として認めてあげるのか?」、それがすべての出発点だと思うのです。



あなたは今、自分を「何者として」認めてあげていますか?



いつも、出発点はそこにあります。



いつも、出発点は「あなた自身」にあります。



あなたを心底応援してくれているのは、いつも「あなた自身」です。




“あなた” はいつから




たとえば、人はいつから本当の意味での「父親」になるのでしょうか?



たとえば、人はいつから本当の意味での「恋人」になるのでしょうか?



人は、いったい、いつから「その人」になるのでしょうか?



やはりそれは、本人が「自分をそう認識した瞬間から」だと思うのです。



あなたは、今、自分自身を何者として見てあげていますか?



それは社会的な職業と結びつかない場合も多くあると思います。



最初は、お金になるならないは、そんなに重要ではないかもしれません。



まずは可能性を広げて考えること。



人から言われた「何者か」になるのではなく、



自分で自分を「何者か」認めてあげること。



それが最初だと僕は思うのです。



きっとあなたはもう、そういうタイミングなのですから。



じっくりゆっくり、腹落ちしたら、あとはもう、きっと前に進むだけ。



いっしょに、それぞれ、自分の道を進みましょうね。



キツくなった、そのときは、いっしょにビールでも飲みましょう。



さてと。




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言葉のちから

僕らの言葉と想いと行動が きっと世界を変えていく 少しだけいい方向に

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